この商品を購入する. 2018年3月に亡くなった偉大な物理学者スティーブン・ホーキング博士が最後に遺した論文を文系や中学生でもわかるように解説。1回目は「宇宙のはじまり」と「特異点」の紹介。 宇宙の大局には相対性理論が適用できるが、そこには不確定性原理は入っていない。けれどもこれは一緒に考えるべきであるとホーキングは断言する。では、そこをどう考えればいいのか。そのことを求めてホーキングはゆるぎない自信をもって仮説の渦中に入る。その矢先、こういう決意がのべられる。「われわれが存在するがゆえに、われわれは宇宙がこのようなかたちであることを知る」。 「ホーキング宇宙を語る( ほーきんぐうちゅうをかたる )」について一言で解説。その他「ホーキング宇宙を語る」に関連する言葉や「ホーキング宇宙を語る」 をおもしろ・おかしく・わかりやすく解説するマンガも見ることができます。 なぜなら、もし完全な大統一理論(GUT)ができるとすると、そこにはわれわれの行為もたぶん決定されていることになるはずで、そうだとすれば、この理論を探究して得られる結論や結果はこの理論自体が内包しているものだということになり、この理論への到達が不可能になるからである。 続いて 1971年には創成直後の宇宙においてミニブラックホールが多数発生するという理論を提唱,また 1974年,ブラックホールは素粒子を放出することによりその勢力を弱め,消滅するという理論(ホーキング輻射)を展開,それらはやがて量子宇宙論へと発展した。 大ベストセラー『ホーキング、宇宙を語る』『ホーキング、未来を語る』に続く待望の新刊! 天才科学者ホーキングが、宇宙の謎をこれまで以上にわかりやすく基礎から解説。 さらにハッブル宇宙望遠鏡やcobe衛星の観測から得られた新しい研究成果も追加。 曙堂 千葉県富里市新橋 ¥ 810. ホーキングが大学院での研究を始めた時、宇宙創生を解き明かす理論である ビッグバン と 定常宇宙論 について、物理学界では盛んな議論があった。 【衝撃予言】ホーキング博士が人類に残した最凶警告!. 14日に76歳で死去した英物理学者のスティーブン・ホーキング氏は、運動ニューロン病のために自分の体の中に閉じ込められたような状態だったが、それでも私たちが宇宙を理解するのを手助 … Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ホーキング、宇宙を語るの解説 > ホーキング、宇宙を語るの全文検索 「ホーキング、宇宙を語る」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/42件中) ゆっくり、ゆっくりと宇宙仮説が解読されていった。衝撃的だった。この遠くのステージで何かをしている生き物が現代科学の最終目標のひとつである「全宇宙を記述する単一の理論」にただ一人敢然と挑戦しているのかと思うと、胸が熱くなった。 「ホーキングとペンローズが語る時空の本質」―ブラックホールから量子宇宙論へ内容紹介:本書は、1994年にケンブリッジ大学アイザック・ニュートン数理科学研究所で行なわれたスティーヴン・ホーキングとロジャー・ペンローズによる宇宙論歴史的な連続講義の記録である。 著書「ホーキング、宇宙を語る(A Brief History of Time)」は異例のベストセラーとなったが、最後まで読みきった人がどれだけいるかは定かではない。 1988年 - 『ホーキング、宇宙を語る』を出版。発行部数が全世界1000万部、日本110万部を超えるベストセラーになる。 1991年 - 「時間順序保護仮説」を提唱。ジェーン・ワイルドと離婚する。 1995年 - 看護師のエレイン・メイソンと再婚する。 けれども試算してみると、なかなかうまく進まない。アインシュタインが懸念したように、やはり量子力学と重力の相性が悪いのだ。そこでひらめいたのが虚時間の導入である。虚時間(imaginary time)は実時間に対して設定された数学的概念で、ヘルマン・ミンコフスキーの時空幾何学のころから便法のようにつかわれていた。それをファインマンの経歴総和法(経路積分法)をヒントに試してみた。やってみるといろいろおもしろい。時間と空間の区別がまったくなくなるし、その大きさは有限ではあるけれど無境界になる。これはいけるというので、組み立てが始まった。 解説 カバー・帯; 在庫 在庫切れ(北天堂書店) キーワード「ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで」の検索結果 . ホ-キング、宇宙を語る <ビッグバンからブラックホールまで> コザすばる書房 沖縄県沖縄市胡屋 ¥ 500. s・w 「サラリーマン 宇宙を語る」は、宇宙、天文学、地学、太陽系探査、地球外生命探査を解説する宇宙ネタの総合サイトです。 ホーキング織野の サラリーマン、宇宙を語る。 「ホーキング、宇宙を語る」スティーヴン・w・ホーキング著 林一訳 ハヤカワ文庫 単行本発売の頃は、テレビの解説番組はいくつかあったけれども、本を読むほどの関心はなかった。文系人間としては当然の反応だろう。文庫本発売の時は時期が悪かったと思う。 本書を読むと、こうした絶体絶命の危機回避が、ホーキングの理論形成上で何度もおこっていることが伝わってくる。早くから“アインシュタインの再来”とよばれたこの天才は、まことに多くの科学者たちとの水際だったコラボレーションをなしとげてきたのである。本書を読む愉しみは、この科学的共同思考のドラマを“観劇”するということにある。. ホーキング、宇宙のすべてを語る 「ホーキング、宇宙を語る」(isdn:4152034017)の続編。地動説から量子重力理論やタイムマシンの話まで、最新の理論が読みやすく書かれている。 メーカーサイト⇒ランダムハウス講談社 ホーキング、宇宙のすべてを語る 「ホーキング宇宙を語る( ほーきんぐうちゅうをかたる )」について一言で解説。その他「ホーキング宇宙を語る」に関連する言葉や「ホーキング宇宙を語る」 をおもしろ・おかしく・わかりやすく解説するマンガも見ることができます。 ホーキング最後に語る : 多宇宙をめぐる博士のメッセージ: 主題: Hawking, Stephen William; 宇宙論: 分類・件名: NDC8 : 443.9 NDC9 : 443.9 NDC10 : 443.9 BSH : Hawking, Stephen William BSH : 宇宙論: 注記: 最終論文の全訳と解説, 共著者インタビューを収録 ◆新たに三井寺の長吏に就任された福家俊彦さんのはからいで、国宝の光浄院客殿に熊倉功夫さん、樂直入さんを招いて語らい、そこに石山寺の鷲尾龍華さんらが加わって、煎茶の茶事まがいを遊んだ。中山雅文・和泉佳奈子が準備した。広縁をおもしろくつかった灌仏会もどきの室礼は横谷賢一郎さんの趣向によるもの、福家俊孝さんが三井寺茶の点前をして、叶匠寿庵の芝田冬樹さんがお菓子を用意した。◆光浄院はぼくが大好きな書院造りで、桃山がいっぱいだ。付書院には巻紙に硯、筆を置いて、夕刻にみんなの寄せ書きをしてもらった。久々に愉快な半日だったのだが、前日、大津歴博で義仲寺の蝶夢がなしとげた「芭蕉翁絵詞伝と義仲寺」の展示を見て、その編集ネットワークの成果に大いに驚いた。よくぞ蝶夢は近江の俳諧文化を芭蕉に託してまとめたものだと感服した。露伴が絶賛していた理由がやっとわかった。芭蕉が墓を近江にしたかった理由も納得できた。◆林頭の吉村堅樹の乾坤一擲で始まった『情報の歴史』21世紀版がこのたびついにまとまって、4月半ばの発売にこぎつけた。編集工学研究所初めての出版物で、それも520ページの大冊だ。既存版が1995年まででおわっていたのが、2020年までのクロニクルがずらり出揃った。イシス編集学校の諸君がさまざまにかかわって仕上げたので、感激一入であろう。デザインは穂積晴明が担当した。穂積はタイプフェイス感覚に富む若者だ。◆同じくイシス編集学校の米山拓矢君が、こちらは1人で1年以上をかけて構成してくれた『うたかたの国』が工作舎から刊行され、はやくも2刷になった。新聞雑誌・ウェブの書評も多く、評判がいい。編集作業には米沢敬君がプロの技を発揮して、日本の詩歌を組み上げた「セイゴオ・リミックス」として手ごたえのある仕上がりにした。ぼくの著作は他人の手によって編集される(リミックスされる)ことが少ないけれど、こういう出来のいい編集構成をされてみると、けっこう気持ちがいいものだ。令和にも蝶夢がいたわけだ。◆実は、教科書・学参カンケーの某版元で『試験によく出る松岡正剛』(仮題)という企画も秘密裏にすすんでいるのだが、これは「周辺から松岡を彫り込む本」になりそうで、ここには太田香保のもと、またまたイシス編集学校の諸君が何人もかかわってくれるらしい。お題に強い連中なので、きっとおもしろい本づくりをしてくれるだろう。◆千夜千冊エディションの最新刊『仏教の源流』(角川ソフィア文庫)はあいかわらずぼく自身の自己編集構成だが、インドと中国の仏教コンテツンツだけで1冊のページが埋まってしまい、ぼくの仏教感覚の突っぱり具合を出すのに苦労した。加筆と推敲を多めにしておいた。これで千夜エディションも20冊になり、角川側でささやかな書店フェアをやってくれるそうだ。◆ウェブの千夜千冊についても、新たな変化がおこっている。これまで千夜の図版は松岡事務所の寺平賢司が中心になって構成してきたのだが、これからは編集学校の師範や師範代も加わることになった。ウェブ千夜はエディションとは異なって、図版が魅力のヴィジュアル・ブックナビゲーションなのである。◆さて、話ががらりと変わるけれど、先だってまたしても肺ガンを宣告された。CTで見つかった。今度は左の肺上部の原発性の腺ガンのようだ。さいわいレベル1Aで転移もないようで、手術によってカンペキに除去できるらしい。いまはコロナ禍中の築地がんセンターでの手術日を待っている。渡辺俊一先生の執刀だ。さっそく順天堂のおしゃべり病理医の小倉加奈子ちゃんが肺機能を強化するトライボールZを持参してくれた。◆それにしても二度目の肺ガンとは、なさけない。15年前の胃ガンを入れて3発目。父親ゆずりの体質だろうと思うことにした。半年に1回のCTで見つかったので、1年に1回の検査では危なかったかもしれない。◆それはそれ、渡辺先生の助手から「タバコをやめないと手術が失敗しますよ」と警告されたので、しおらしく断煙の日々を続けているのだが、なんだか調子が悪い。ニコチン切れに困るのではなく、手持ち無沙汰というのでもなく、口さみしいといえば口さみしいが、ぼくの日々の基本プレイに出入りする何かが欠如したように思える。◆念のため説明しておくが、ぼくの喫煙は半世紀のあいだ一日も休まず続いていて、平均1日3箱ほどになっていた。強いタバコではない。最近はメビウスの1ミリ、その前はキャスターの1ミリ、その前は3ミリという程度だったのだが、ただ人前でも仕事中でもスパスパ喫っていたので、結局はバチが当たったのである。手術がおわったら、基本プレイに欠如したものを補う何かを発見しなければなるまい。ディエゴ・シメオネの闘いぶりや川口ゆいのダンシングに肖って。◆そんなこんなで、勝手な読書三昧がしにくい1カ月だったのだが、なかでデヴィッド・クレーバーの『負債論』(以文社)、ジャン・ストレフの『フェティシズム全書』(作品社)の大著のほか、久々にガストン・バシュラールの著作を拾い読みした。これは「離」の方師、田母神顯二郎明大教授が、松岡さん、バシュラールはそろそろですかと促してくれたからだった。, ◆77歳を迎えた数日後の宵の口から、松岡正剛事務所、編集工学研究所、イシス編集学校の諸君が「キジュ」をリアル&リモートで祝ってくれた。さすがに準備は万端、細工は流々、たいへん凝った趣向で、ヤキトリに始まり、あれこれの手を替え品を変えてのサプライズのあげく、後半は総勢数十人が次から次へ歌い継いでみせるという“We are the World”状態で、3密どころか5密なシングアウトに包まれた。たいへん愉快なひとときだった。◆しかし、けれどもだ。宴のあとでしんみり考えた。やっぱり「キジュ」はどうみてもヤバいのだ。これから仕上げられそうな「こと」や「もの」を想定してみると、どうみてもタカが知れている。砂時計に残された時間がないというのではない。数年前からじりじり感じてきたことなのだが、気力と体力のセッサタクマの案配がめっきりおかしくなっていて、これは「別のエンジン」を急がせなくてはいかんのである。ところがそのエンジンの開発がままならない。◆すでに思いついていたり、着手してみたプランもほったらかしだ。そこには著書もあるし(5冊ほどの見当がある)、書画もあるし(仏画っぽいもの)、或る種のマザープランづくりのようなものもある。かつて着手しはじめた『目次録』などは何人もの諸君の助力を得ながら、放置したままになっている。◆これはヤバい。キジュに乗っていてはまずい。本を書き上げることくらいならなんとかなりそうだけれど、ぼくの仕事はエディトリアル・オーケストレーションに向かっていくことだから、自分一人が書き手に甘んじていてはいかんのだ。そう、戒めてきた。編集オペラのようなもの、編集ページェントのようなもの、そっちに向かっていなければならなかったのだ。それが遅れている。◆「本のページェント」にする試みだけなら、図書街や松丸本舗や本楼や近大やMUJIブックスや所沢のエディットタウンなどにしてきたが、それらは世の中での「本」の扱いが静かすぎるので、いろいろ制約が多かった。そこで連塾や織部賞やトークイベントのステージなどでは、そこに音や映像やナマのゲストの出入りを加えたけれど、まだまだなのだ。◆そういう不足感を払底するために、15年ほど前から考えていた不思議なマザープランがある。「故実十七段」とか「次第段取一切・故実日本流」と呼んでいるもので、従来の歴史的な試みで喝采を送りたいもの、たとえばディオニソス祭や修道院立ち上げや人形浄瑠璃の成立や、ライプニッツのローギッシュ・マシーネや天体観測装置やファッションショーやムンダネウム計画や、あるいは賭博・競馬・バザールやスペクタクル映画やアニメの傑作などの制作成果を、都合100~150例ほどトレースしながら思いついたことで、これらを複合的な世界装置開展のためのマザープランにしてみようとしたものだ。◆マザープランのドラフトはあらかたできているのだが、これをどうみなさんに開示したり実現したりしていけばいいのか、そこは手つかずだ。先だって、やっとその小さなキックオフをした。追々、どんなふうになりそうなのか報告したいと思っているけれど、これもやっと腰を上げたばかりなのである。◆そんなこんなで「キジュ」はヤバいのだ。もっと深刻なことを言うと、ほんとうはもっと本を読みたいし、読み替えていかなければいけないことが溜まっていて、うっかり千夜千冊などというリテラル・ナビゲーションをルーチンにしたため、自分が考えたり感じたりしていることが、読んだ本の紹介や案内ではカバーしきれずに、いちじるしく非対称になってしまっていて、このフラストレーションこそ、実はもっとヤバいことなのである。好きなときに好きなことを書くようなジンセーにしておけばよかったのに、なんだか律義な責任のようなものをつくりすぎたのだ。◆それでも諸姉諸兄からしたらいささか意外に思えるだろうことも、実は着々とやってきた。これらについてはぼくの生命時間を超えてしてきたことなので(死後にもわたって継続できるようにしてきたことなので)、いつかその中身が他人の手でリリースされるかもしれないけれど、それがどういうものであるかはぼくからは説明できない。僅かにリークできるのは、そのひとつ、イシス編集学校の「離」で十数年にわたってコツコツ進行してきたことで、これはとても大事にしてきた。毎期、限られた参画者(30人)にしか読めない1500枚ほどのテキストを、ずっと書き換えてきたのである。どういうテキストかは説明できないが、世界観共有学習のための「穴空きプロトコル」のようなものだ。◆もうひとつ、ぼくが仮想思考してきたことを綴っているものがある。仮想思考だから、アタマの中やメモの中やPCの中でだけ、アーキテクチャをもっているものだ。これはおそらく「生前贈与」をしたほうがいいかもしれないので、そのうちその一部をリークしようかと思っている。以上、キジュに因(ちな)んだヤバめのお話でした。, ◆巷間、コロナ本がいろいろ出てきたが、なかで去年刊行の美馬達哉の『感染症社会』(人文書院)がよくできていた。この著者(立命館の医療社会学者)は2007年の『〈病〉のスペクタクル』(人文書院)で抜群の洞察力を示していたが、今回も渋くてすばらしかった。なぜCOVID19でこれほどの社会混乱が生じたか、痒いところを掻くように書いてくれた。◆コロナ関連本はこれまでも10冊以上を紹介してきたが、ほかに言い忘れていた本があったので紹介しておく。21世紀前半のものでは、ポール・ラビノウの『PCRの誕生』(みすず書房)、アルフレッド・クロスビーの『史上最悪のインフルエンザ:忘れられたパンデミック』(みすず書房)、カール・タロウ・グリーンフェルドの『史上最悪のウイルス:そいつは、中国奥地から世界に広がる』(文芸春秋社)、ローリー・ギャレットの『崩壊の予兆:迫り来る大規模感染の恐怖』上下(河出書房新社)など。◆最近のものでは堀井光俊『マスクと日本人』(秀明出版会)、木村盛世『厚労省と新型インフルエンザ』(講談社現代新書)などだ。ちなみにぼくの病気論はずっと前からルネ・デュボスの『健康という幻想』(紀伊国屋書店)にもとづいている。デュボスは抗生物質の発見発明者だが、晩年に向かってすばらしい病気論を開陳した。病気とはエンビオスの神が動かなくなること、すなわちインスピレーションを欠かせることなのだ。◆ところで、このところフェティシズムの本を読み漁っているのだが、これはぼくの周囲に「フェチが足りない」などと言っているのに、どうもその意図が伝わらないようなので、こちらもベンキョーしなおそうと思ったからだ。マルクスの物神論とフロイトのフェティッシュ論、あるいはド・ブロスやラトゥールではまにあわない。そこで田中雅一の「フェティシズム研究」3冊本(京都大学学術出版会)を下敷きにすることにした。『フェティシズム論の系譜と展望』『越境するモノ』『侵犯する身体』だ。ただ、フェチの驚くべき底辺の歴史と実情が重要なので、こちらはジャン・ストレフの分厚い『フェティシズム全書』(作品社)と川島彩生が編集構成したフェチ愛好家のためのマニアックな『フェチ用語事典』(玄光社)で補っている。◆マルクスとフロイトの予想とは異なって、フェチには普遍性などがない。そこが頼もしいところで、あくまで個人的個別的、かつ特殊関係的なのだ。そこでそのフェチに降りていって、そこに爆薬を仕掛ける。これが編集には必要なのである。◆今年になって田中優子さんとの対談本『江戸問答』(岩波新書)、千夜千冊エディション『サブカルズ』(角川ソフィア文庫)、米山・米沢が編集してくれた『うたかたの国』(工作舎)が刊行された。いずれもかなり読みごたえがあると思うけれど、自分の本が出るのは実はとても面映ゆいもので、とうてい「どうだ、やったぞ」などとは思えない。むしろ地味にほめたいものなのだ。◆書評や紹介などがあるには越したことはないが、それよりも、そうやって仕上げた本を、著者本人はどう思っているのかを聞く機会があるのがいいように思う。以前、自著について語る「自著本談」という企画、千夜千冊をぼくが朗読しながらところどころ解説する「一冊一声」という企画をネット上でしばらく続けたことがあるのだが、世間でもこういうものがもうすこしあってもいいのではないかと思う。◆本は版元と著者によって閉じすぎる。おまけに書店や図書館ではもっと黙りこくっている。いったん閉じてしまうと、なかなか緩まない。そこで当事者がセルフサービスをする。本の口をこじあける。詩人の朗読会は「黙って詩を読んでもらうより、ずっと読書が深まるもんですよ」と高橋睦郎さんが言っていたが、そうなのだろうとし思う。ただふつうの本は音読するには長いので、そこを著者や編集者がお手伝いするのだ。◆紅白歌合戦でYOASOBIが角川武蔵野ミュージアムの本棚劇場を特設ステージにして『夜に駆ける』を披露した。カメラはエディットタウンのブックストリートから本棚劇場に向かい、本に囲まれたYOASOBIを映し出した。このユニットはソニーミュージックの小説イラスト投稿サイトに登録された小説を素材に歌をつくっていくという仕組みから生まれた。『夜に駆ける』は星野舞夜の『タナトスの誘惑』から切り出されたデビュー作である。本がこういうふうに生身でボーカロイド化されるというのも、黙りこくっている本の口を割らせるいい方法だろう。かつてはトリスタン・ツァラもアポリネールも得意にしていたことだった。本は賑やかでお喋りなものなのである。, ◆このところ格闘技のユーチューブをよく見る。武術アクター坂口拓の『狂武蔵』の電光石火の手際に感心したのがきっかけで、次に朝倉海を、ついで元パンクラスの船木誠勝が淡々と語るものを見て、一気に関連映像を渫った。◆ぼくは長らく前田日明一辺倒で(いまもこれは変わりないが)、そのぶん他のレスラーやボクサーや武道家を見続けるということをあまりしなかったので、いい機会になった。桜庭和志もミルコ・クロコップも吉田秀彦も一挙に見て、ときとぎ船木の解説語りに戻ると、これがなかなかの味なのだ。ヒクソン・グレイシーに落ちて、その直後に引退宣言したのが船木の奥行きをつけたのだろう。◆ところで、読書にも格闘技のような技がいろいろある。投げ方を読む、打撃を読む、関節を読む、呼吸を合わせる、呼吸をはずして読む、いろいろだ。ただ読書は(最近は読相術という言い方もするのだが)、勝負を争わない。そこがまったく異なる。また、読んでいる最中の技が外には見えない。だから多くの読書が孤読になっていく。◆実は、読書のプロセスを少しは外に見えるようにできるかと思って始めたのが千夜千冊だった。もう20年続けたことになる。しかし最初はまったく理解されなかった。いまは多少は知られるサイトになっているけれど、2000年に始めた当初は細々としたもので、すぐさま「ネットで書評したって読まれっこない」「1回分が長すぎる」「自分のことを書きすぎている」とか言われた。◆500夜前後でアクセス数が100万ビューに達したころは、今度は「なぜ有料ブログサイトにしなかったのか、もったいない」「松岡ならメルマガのほうがもっとおもしろくなるだろう」「こうなったら3000冊をめざせ」云々だ。みなさん、いろいろよく思いつく。◆書評サイトだと見られている向きもあるようだが、そうではない。書評をするつもりはまったくなかった。批評したいとは思わなかったからだ。ケチをつけるために本を選ぶのはフェアではないし、そもそもケチをつけるほどラクな手口はない。それより、どういうふうに著者やその本をアプリシエートすればいいか、いい格闘技を愉しむか、そこ念頭においてきた。◆とはいえ気楽に書いてはこなかった。どんな難解な本も必ず要約を欠かさないようにした。あえてネタバレも冒した、ただし、要約編集の仕方を工夫した。千夜の読書はまずはコンデンセーションなのである。◆格闘技には、かなりいろいろのルールがある。柔道とキックボクシングとはまったく違うし、ボクシングと空手と合気道は、素手とグローブの差もあれば、組み方の違いもある。主宰団体によっても異なる。UWFとパンクラスとリングスはその違いがおもしろかった。それぞれよくよく練ったのだろう。◆読書や読相術は本を相手のちょっとした格闘技だけれど、やっぱり本によって読みのルールが変わるのである。小説を読むときと学術書を読むときは変わるし(もともと小説と学術のルールが違う)、量子力学の本と進化論の本もルールが異なる。速読術はお勧めしないけれど、このルールをマスターし、体感すれば、いくらでも速く読めるはずである。◆読書には乱取りも十人斬りもある。何冊も一緒に読みながら斬りまくるのだ。これは将棋や以後の十面打ちより、ずっと格闘わざに近い。もっともそういう乱暴しないで、何をどう読んだのか、そのプロセスを多少は実況しようというのが千夜千冊だったのである。あと100冊くらいは続行することになるだろうか。, ◆きのう、浅草のギャラリーで、松田行正・臼田捷治と「戸田ツトムのブックデザイン展」をめぐる鼎談をしてきた。聴衆はすべてリモート。こんなに早く戸田君が亡くなるなんてと思いながら話したので、あの繊細で鋭く、切断と陰影に充ちていた戸田君のエディトリアルデザインを偲ぶのが痛ましかったが、せめてブックデザインやエディトリアルデザインのことがもっと世の中の話題にのぼるようにとの思いで、あれこれ話した。◆本というもの、実に多様な職人と諸事情とコンテンツが集約されて出来上がっているもので、「著者がいて、本ができました」なんてことはありえない。版元、エディター、著者、ライター、文字組、写真家、図版屋、印刷関係者、製本、書店、販売営業、帯づくり、いろいろな努力としくみが複合化する。それが本だ。ブックウェアだ。なかで「造本」という領域が実に多彩な仕上げに向かっているわけで、この分野のことはもっともっと語られなくてはいけない。◆ぼくはさいわい杉浦康平さんの薫陶を受け、30代に「遊」を通して多くのクリエイターに出会えてきたので、本や雑誌がどのように出来上がり、どんな才能が起爆したり切り取られていくかをつぶさに間近で体験することになったけれど(その現場に戸田君もいたわけだが)、いまは何でもネットでコミュニケーションができると思われ、ウェブユーザーがオーサリングできていると勘違いされているので、本の「独壇場」がどんなものかは、ますますわからなくなっている。残念だ。◆貨幣が電子マネーになったわけではなく、森の生活が都市のビル住まいになったわけではなく、演劇が古典ギリシアとともにあるように、今日の本も2000年にわたる積層された変遷を、いまなおあれこれ演じているのである。戸田君や松田君はそれを引き受けてきた。◆そういう本の姿を思い切った方法でもっと堪能してもらおうと思って用意した「エディットタウン」が、角川武蔵野ミュージアムの4階に、高さ8メートルの本棚劇場とともにオープンした。ワインディングするブックストリート、違い棚ふうの本棚、大小4段階におよぶ立体見出しの出入り、天井から吊り下がる数々の多変バナー、横置きを辞さない提示法、本棚に埋め込まれたチビモニターたちなど、いろいろ工夫してみたので、かなり賑やかだ。おかげでかなり話題になっている。◆本はつくるときにはいろいろの手立てが総合されているのだが、これがいったん流通に入ると、まことに寂しく、通りいっぺんになる。大手取次店の配本にもとづき、書店も図書館も十把一からげになっていく。図書館の10進分類も管理のためばかりで、なんら訴求力がない。閲覧室は病院のようだし、書庫は墓場のようだ。◆とくに書店は、もっと好きに棚組みをしたり好きに飾ってもいいはずで、本以外のものも置いてもいいのに、そうしない。これではネットに顧客を奪われても仕方ない。だいたい書店はサービス業だと思っていないようだし、書店員は「いらっしゃいませ」も「ありがとう」も言わない。本を見て、本を選ぶという行為にまつわる工夫もしない。たとえば本は3冊以上持ってレジに行くのが手いっぱいになるのだが、ちびカゴもカートもない。◆一番まずいのは、書店は「知的なお店」だと思いすぎていることだ。本はそもそもありとあらゆる分野をカバーしているコモディティで、そこには哲学からポルノまでが、お仕着せから被害の告発までがある。くだらない本もたくさん混じっていて、それで本屋さんなのである。済まして並べていて、いいわけがない。◆ついでに言うけれど、ブックカフェなるものもふえているようだが、かっこを付けすぎていて、いただけない。もっと、片隅にボロボロのマンガ本が並んでいた昭和の喫茶店のようものも、復活してほしいのである。ぜひエディットタウンを見てほしい。, ◆トランプは血迷っているから今年いっぱいの先行きがどうなるかはわからないが、大統領選挙はバイデンに軍配を上げた。だったらバイデン、ハリスのお手並み拝見である。それはそれとして、ここに至るまで、日本のマスコミや論壇やコメンテーターがトランプの暴論暴走を正面きって叩かなかったのが、なんとも信じられない。バイデンとの政策比較に汲々としたからだろうが、暴論暴走は大いに叩けばよろしい。様子を伺って、それまでは右顧左眄して、結果が出てから「ほれ、みたことか」と言うのは、もうやめたほうがいい。ジャーナリストも論者も育たない。◆アメリカではトランプを「性差別の先頭を走る」「マフィアのボスだ」「管制塔に紛れこんだ12歳児」といった批判が乱れとんだ。ボルトンやコーミーらの元側近による暴露本も囂(かまびす)しかった。それらのトランプ批判がどのように的を射ていたかはべつにして、これにくらべると、日本はたんに臆病だった。情けない。◆理由はいくつもあろうが、そのひとつに、いつのまにか日本の論調が、ひたすら「わかりやすさ」に向かうようになったということがある。お粗末きわまりないけれど、どこもかしこも「わかりやすさ」に落着することを選ぶようになった。事の是非に鉄槌を食らわせることも、文春砲まかせで、できるだけ避けるようになった。◆最近、河出の編集出身の武田砂鉄が『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版)を書いて、「わかりにくさ」において気持ちが通じることの重要性を説いていた。その通りだ。「偶然」に対する希求と筋力が落ちているという指摘も、その通りだ。武田は『紋切型社会』(朝日出版社)や『日本の気配』(晶文社)でも、そうした山本七平の「空気」批判のようなことを書いていた。ただし、なぜ「偶然」(偶有性)がすごいのかを説明しなかったのが残念だった。◆「わかりにくさ」といえば、日本の左翼活動の言説はまことにわかりにくかった。60年代半ば、ぼくもその一翼にいたのでよくよく実感したが、わかりにくければそれでいいというほど、舌足らずでもあった。ブント用語、全共闘用語というものもあった。では、なぜそんなふうになったのか、その事情の渦中を浮上させようという試みが、このところふえてきた。情況出版や明石書店など、いろいろ新たな分析が出ているし、懐かしい津村喬の『横議横行論』(航思社)や長崎浩の『革命の哲学』(作品社)なども出ているが、鹿砦社が構成した『一九七〇年 端境期の時代』を興味深く読んだ。◆田原総一朗のインタビューから始まって、フォークをやめた中川五郎、水俣病闘争の渦中にいた矢作正、大阪万博をふりかえった田所敏夫、新宿で模索舎をやりつづけた岩永正敏、赤軍事件背景を「山小屋論」として綴った高部務、そして板坂剛による仮想「革マルVS中核」ディベートやよど号事件以降ピョンヤンにいる若林盛亮の回顧談など、いずれも読ませた。1970年の詳細な年表も挿入されている。◆1970年は、東大全共闘が撃沈し、安保改定が確立し、大阪万博が開かれ、三島由紀夫が自害した年である。数々の「わかりにくさ」と「犠牲」と「総括」が渦巻いた最後の年であったかもしれない。, ◆コロナと猛暑とリモートワークで日本がおかしくなっている。だいたいGOTOキャンペーンが最悪の愚策だった。そこに自治体首長たちの自粛要請、保健所とPCR検査の機能麻痺、しだいに重々しくなってきた医療危機、発言確認ばかりで満足しているリモートワークが重なり、それに猛暑日・熱帯夜・熱中症が加わった。おかしくないほうが、おかしいほどだ。◆外出自粛でコトが済む時期はとっくに過ぎた。水道の元栓を開いたままで蛇口の分量を調整しようというのだから、これではコトの予測さえ成り立たない。そこをたんなる自粛で乗り切ろうとすると、「いびつ」がおこる。外出先を制限すれば、居住性のほうに危険が移る。いまや危険なのはキャバクラやホストクラブではなくて、家庭のほうなのである。お父さんが自宅で仕事をして、大きい姉さんが仕事場に出られず、弟が学校に行けず、早やめに小学校から帰ってきた末っ子が騒ぎ、いよいよ爺さんか婆さんが勝手な望みを言い出せば、母親は苛々するばかりだ。おかしくならないほうが、おかしい。◆ところでコロナ・パンデミックについての論評には、まだ芳しいものがない。なかでイタリアの素粒子物理学者パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』(早川書房)は、コロナ発祥拡散直後の3月に書かれたエッセイで、1カ月ぶんの激変の中で綴られた、涼やかだが、思慮深いエッセイだった。◆ジョルダーノが言いたいことは次の5点だ。①いま僕らの頭脳が試されている、②われわれはまだ複雑性についての対処に取り組めていなかった、③感染症の数学として、感受性人口(Susceptibles)、感染人口(Infection)、隔離人口(Removed)の3つのパラメータによるSIRの計算が必要である、④市町村の単位ではない共同体についてのモデルを考えなければならない、⑤感染症の根本要因は僕らの軽率な消費活動にある。◆日本ではダイヤモンド・プリンセス号に入った岩田健太郎の『新型コロナウイルスの真実』(KKベストセラーズ)や病理医の堤寛による『感染症大全』(飛鳥新社)などのような啓蒙書か、富山和彦『コロナショック・サバイバル』(文芸春秋)、高橋洋一『コロナ大不況後、日本は必ず復活する』(宝島社)、ムックの『アフターコロナ』(日経BP社)などの経済コロナ対策本が多い。緊急に小説も書かれた。たとえば海堂尊の『コロナ黙示録』(宝島社)だ。海堂得意の桜宮サーガのバチスタ・シリーズに乗せた政権批判小説だった。病理と国際政治学との関連性にふれた詫摩佳代の『人類と病』(中公新書)もあった。◆野田努君らのエレキング・ブックスからは『コロナが変えた世界』(Pヴァイン)が刊行された。ブライアン・イーノとヤニス・ヴァルハキスのポストコロナ社会のヴィジョンをめぐる対談が目玉になっていたので期待したが、これは得るものがほとんどなかった。イーノがこんなにも能天気だとはがっかりする。それより内田樹、宮台真司、上野千鶴子、篠原雅武に対するインタヴューの答えのほうが、ずっとおもしろかった。◆内田は、コロナ問題でまたまた日本の統治機構の劣化と、日本人が「ものさし」をつくっていないことが露呈したと指摘。『方丈記』とともに漱石の『草枕』を推薦しているのが粋なはからいだ。上野の指摘はすべての問題は平時の矛盾が有事に出てきたという見方が一貫して、ゆるがない。女子問題にまったく言及しない小池都知事に苦言も呈した。篠原は「人新世」の前触れとしてコロナ禍をとらえ、マイク・ディヴィスやデイヴィッド・ウォレス・ウェルズの素早い反応なども紹介していた。◆宮台は、各社会の危機管理の性能とその性能に応じた社会の支えがアンバランスであることを指摘したうえで、アメリカにはアレとコレが両立しない共時的矛盾があるが、日本にはかつての作法が通用せず、それなのに今日に通用する作法がまったくできていないという通時的矛盾がはびこっていると強調した。これは当たっている。ようするに日米両方ともにゼロ・リスクを求めるために思考停止がおこっているわけで、宮台としてはそれを突破するには「もっと絶望を」ということになる。◆多くの識者を集めた『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』(河出書房新社)も緊急出版だったが、こちらは一番大きな展望を提供した大澤真幸、シニカルな與那覇潤・笙野頼子、病理の仲野徹、アフリカ研究の小川さやか、ドゥルーズ派の堀千晶などが読ませたが、全体としては目次もあとがきもない促成本だ。ところで、GOTOキャンペーンとともに、大きなお世話だと言いたいのが「ステイホーム」の標語だが、どこかの首長が「どうぞ、ゆっくり本をお読みください」と言っていたのとはうらはらに、圧倒的にネット読みとテレビ視聴率が上がっただけだったらしい。, ◆ぼくの仕事場は、建物としては赤堤通りの角の3階建のスペースそのものである。そこは編集工学研究所が借りていて、1階の井寸房(せいすんぼう)や本楼(ほんろう)、2階のイシス編集学校の事務局にあたる学林と制作チーム、3階の企画プロデューサー・チームと総務・経理などに分かれている。その3階に松岡正剛事務所も入っていて、ここに太田・和泉・寺平・西村の机、そしてぼくの作業用書斎がある。◆作業用書斎といってもとても小さい。部屋ではなく書棚で囲んだ領土(領分)になっていて、8畳まで広くない。ふだんは、この「囲い」の中の大きめの机の上にシャープの書院とDELLのパソコンが並んでいて、二つを同時に使って執筆する。両方とも通信回線は切ってある。だからぼくへの通信は松岡正剛事務所のスタッフを通してもらわなければならない。ケータイ(スマホは持たない)も番号を知る者はごく少数なので、めったに鳴らない。メールも切ってある(メールは30年間、使っていない)。◆「囲い」の書棚には、数えたことはないけれど、3000冊ほどの本がぎっしり詰まっている。思想系の本と新着本と贈呈本ばかりで、選書の基準は「できるだけ複雑に」というものだ。「面倒がかかる本」ばかりが集まっているのだ。ただ、すでに満杯である。だからときどき棚卸しをして、各階に配架して隙間をあける。配架といっても、全館の書棚にはすでにおそらく6万冊以上の本が入っているので、こちらももはや溢れ出ている状態だ。だから二重置きしているほうが圧倒的に多い。それでも、たいていの本の位置は太田と寺平がおぼえている。◆作業書架「囲い」には、本と机とPCのほかには何もないが、二つだけ格別なものが用意されている。ひとつは肺癌手術をしたあと、事務所が導入してくれたリクライニングチェアだ。食後や疲れたときにここに坐り、たいてい本を読む。ほどなくして疲れて背を倒して寝る。これはほぼ日課になってきた。◆もうひとつはこの「囲い」ができた当初から和泉が用意してくれたもので、洋服箪笥と狭いクローゼットが書棚の裏側に隠れるようにして、ある。ここで着替えるのだが、この作業がぼくには必須なのである。本を摘読することと着替えることとは、まったく同義のことであるからだ。「本」と「服」とは、ぼくにはぴったり同じものなのだ。実はもうひとつ同義なものがある。それは「煙草」と「お茶」(あるいは珈琲)だ。◆以上、ぼくは、こんな「ほんほん」な状態で日々を送っているのです。ちなみに自宅の書斎はもっと小さい。書院とipad、それに書棚が二つで、本の数はごく少量だ。いつも300冊くらいが少しずつ着替えているくらいだと思う。, その男は小さかった。有楽町マリオンは超満員だった。ぼくはそんな日にかぎって必ず介入してくるちょっとした都合で、そこへ遅れて入った。一番後ろに立った。
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